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差別 ・・・・
素晴らしい記事だ。
竹下義樹さんというパイオニアがいる。いまから35年前、竹下さんは「全盲」という視覚障がいを抱えた身で、日本初となる弁護士資格を取得。その後、弁護士としての一歩を踏み出した。2013年には障害者差別解消法の制定にも携わり、現在は弁護士業務のかたわら日本盲人会連合の会長を務める。「自分は障がい者に応援してもらって弁護士になった。障がい者のために働きたいと思ってやってきた」と言う竹下さんは、障がい者を取り巻く現状をどう見ているのか。なぜ弁護士を目指したのか、ここに至るまでにどんな苦労があったのか。弁護士事務所を構える京都市中京区で聞いた。(取材・文:Yahoo!ニュース 特集編集部/写真:高橋宗正)
人の認識はガラリと変わる
竹下義樹さんの目は、20代までは光をとらえ、人の輪郭もわかったという。30歳前後に視力を完全に失い、「全盲」になった。親しみやすい雰囲気で、笑うとクシャッとした表情になる。
昨年夏、中央省庁や地方自治体で「障がい者雇用の水増し問題」が発覚した。国や地方自治体は、障害者雇用促進法に基づいて一定の割合で障がい者を雇用しなければならない。しかし、中央省庁、全国の多くの役所、教育委員会は、あの手この手で、雇用者数の水増しを行っていたのだった。竹下さんはこう喝破した。
(国は)意図的じゃないというが、そんな嘘は通用しませんよ。障がい者を侮辱していると言われても仕方がありません。
私はこう思うんです。問題は、糾弾を繰り返すだけでは解決しないのではないかと。何がゴールかといえば、障がい者の職場づくりが社会で広く実現することでしょう。行政機関にはその先端に立ってほしいですし、これを一つのきっかけにしてもらいたい。そのためには、なぜこういった問題が起きたのかを考えなきゃいけません。
行政機関には障がい者に対する無理解があったのではないでしょうか。たとえば重度の障がい者が職場に入ってきた。行政機関はこう不安を感じたのかもしれません。
「本当に仕事できるの?」
できなかったらどうしよう。どうやったら一緒に働けるのだろう――そんな不安がある一方で、障がい者雇用の法定雇用率を満たさなくてはならない。そのプレッシャーから、こんなバカげた数合わせを起こしてしまった。
私自身、こんな経験をしたことがあります。
司法試験に合格し、実務修習が始まるころです。職場は京都地方裁判所。所長室に呼ばれました。そこには、指導担当の裁判官、検事、京都弁護士会の会長さんがいました。竹下を受け入れるに当たってどういうことを理解したらよいのかを知るために呼んだということでした。
私はいつものように白い杖をついて部屋に入りました。室内にいた一人がこう言いました。「(話を聞きたいから)付き添いの方も来てください」と。私が「付き添いはいません。一人で来ました」と言うと、彼らは「ええっ」と驚きました。そのうち面談が始まって、コーヒーが運ばれてきました。私は、コーヒーミルクの、あの小さな容器を手に持って端っこをパキッと折り、中身をコーヒーに入れてかきまぜました。
そのときのことは今でもよく覚えています。所長室が静かになって視線がぐーっと集まるのが分かるんですよ。「きみ、自分でできるのか」と言われました。目が見えないと何もできないと思っていた彼らも、私が一人でやっているのを見て、ガラリと雰囲気を変えたんですよね。そこから話は、すぱっとどんどん決まっていきました。裁判所での仕事で「できること」と「できないこと」をリストアップし、いまでいうところの障がい者への「合理的配慮」が決まっていきました。きっかけは些細なことですが、変わるときはガラリと変わるものなのです。
――2016年には「障害者差別解消法」が施行されました。国や地方公共団体、民間事業者に対して、障がいを理由とする差別の解消を求めるとともに、障がい者のために必要かつ合理的配慮を義務づける法律です。社会の変化は感じますか?
まだありませんね。そもそも、この法律自体が社会全体で知られていない。国も障がい者団体も周知する努力は足りていないでしょう。
社会の障がい者差別が解消されないのも、あともう一つ何かを越えないといけないのかもしれませんね。人は、必ずしも差別をしようと思って、障がい者差別をしているわけではありません。結果として差別になっているケースが大半で、なぜそんなことが起きるかというと、周囲が無理解だからです。障がい者に何ができて、何ができないのか。そのことを知っている人は決して多くはありません。
昨年の障がい者雇用水増し問題が発覚後、人事院からこんな発表があった。2019年2月から、障がい者を対象にした国家公務員統一選考試験を行うというのだ。採用枠676人に対して8711人の応募があった。
障がい者だからできる弁護活動がある
社会の変化はまだ道半ば。竹下さんが弁護士を志した1970年代も、就労の選択肢は限られた。なかでも、視覚障がい者が司法試験に合格し、弁護士を目指すということは、今より遥かに難しい環境にあったという。それなのになぜ、弁護士になろうと思ったのか。竹下さんはこう答えるのだった。
視覚障がい者として、当事者の目線に立てるのも理由でした。ただ、それ以前に「弁護士ってカッコいいな」と憧れたのがそもそものきっかけですね。
――弁護士がカッコよかった?
はい。夢を持たなきゃいけないなと思ったんです。というのは、盲学校の高校2年から3年生にかけて、友だちと進路について話をしたことがありました。実はこのとき、ショックを受けました。友だちは普通高校に通っていました。大学に行く子、就職する子、いろんな進路があるのに、自分だけ鍼灸マッサージ以外の選択肢がなかった。そのとき、小説やテレビで活躍している弁護士、検察官の姿が思い浮かんだのです。「これだ!」と思いました。
――当時は視覚障がいの人が、司法試験の勉強をする環境は整っていたとは言えません。未整備でした。どう勉強したんでしょうか。
ボランティアさんの力を借りて勉強を続けました。『六法全書』を点字で読めるよう、点訳をしてもらいました。専門書の音声化も手伝ってもらいましたし、一人では勉強できなかったでしょうね。ただし、点字による司法試験制度は始まってなかったんですよ。
このとき助けてくれたのが、自分と同じ視覚障がい者です。彼らは、全盲の私が点字受験できるよう、署名運動をしてくれたんですよ。そのおかげで自分は試験を受けることができるようになり、9回目で合格しました。障がい者に応援してもらった以上、彼らのために働く弁護士になりたかった。自分なら当事者の目線に立てる。そう考えてきました。いや、役に立たなければならないと。
弁護士になって10年くらい経ったころ、竹下さんはこんな案件を手掛けたという。
離婚をめぐる調停でした。母親が全盲で父親が弱視。1歳の子どもをめぐって、両者が親権を争っている案件でした。自分は母親の弁護を担当したのですが、家庭裁判所の調停委員がこう言いました。「あなたは目が見えないんだから子育てはできない。だから、まだ目の見えているご主人に子どもを預けなさい」――残念ながら、当時の障がい者への一般的な理解を表した発言で、母親は泣く泣く子どもを手放しました。
このとき、視覚に障がいを持つ身として、彼らの心情に寄り添うことの必要性を痛感しました。母親は親権を取り戻すことはできなかったものの、私は父親を捜し出し、「子どもと面会だけはさせてやってほしい」と交渉し、なんとかできるようにしました。
弁護士になることがゴールではない
全盲の身で弁護士への道を切り拓いた。そんな竹下さんの後ろには道が延びている。それをたどって、3人の視覚障がい者が続いている。2018年に司法試験に合格した板原愛さんで4人目だ。「後輩」に向けて、こんなエールを送った。
あえて厳しいことを言います。弁護士になったからといって、一人前と思ってほしくありません。もちろん、助けてくれる人はいます。目に障がいを抱えていることで、健常の弁護士以上の困難が待ち受けている――と考えて仕事に当たってほしい。それを克服するだけの力量は自分で身につけるしかありません。
竹下義樹(たけした・よしき)
弁護士。1951年2月、石川県輪島市生まれ。生まれつき弱視で、中学3年生のときに外傷性網膜はく離と診断される。龍谷大学法学部を卒業後、1981年に9回目の受験で司法試験に合格し、1984年に京都弁護士会で弁護士登録。1997年には同会副会長も務めた。2011年に弁護士法人つくし総合法律事務所を設立し、翌年その東京事務所を開設。日本弁護士連合会の人権擁護委員会に所属し、障害者差別解消法の制定にも関与した
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- 2019年01月23日 |
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